銅鐸
弥生時代になると稲作が普及し、石器にかわり金属器が普及しました。農業の生産は飛躍的に向上し、労働力が必要になりより大きな集落
が各地に生まれました。しかしそこに貧富の差も発生しました。貧富の差は拡大し、部族間の戦争も発生し、それに勝ち抜き力をつけた部
族の指導者は、自らの力を誇示する大きな墓を造るようになり、その規模は時と共に大きくなって生きました。
また、集落では住宅や倉庫などを造る事が優先され、墓地は集落から離れた場所へ設けられるようになったのもこの時期です。墓地は住
宅地に適さない場所へと移され、家族単位、一族単位として埋葬されるようになりました。その形態が『方形周溝墓』と呼ばれています。
この墓制は四方を溝によって区画し、その内部に盛り土をしたものである。中央に戸主、隣に妻、子供たちはその周囲に葬られ、高さは2
メートルほどですが、一辺が30メートルに達する大きなものもありました。この時代には土葬と木棺に埋葬する方法が混在しているのも
とくちょうです木簡は、製材の技術を要し、明らかに大陸から持ち込まれた文化でした。
そしてただ埋めるのではなく、その上に石を並べ、地上部分には平らな石を置くという支石墓が本格化されてきたのもこの時代でした。
個人を対象とした葬法から夫婦・家族を対象とした葬法に変わってきました。
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